昭和41年07月13日  夜の御理解



 信心をしておれば目に見えるおかげより、目に見えぬおかげのほうが多い、ですから目に見えぬおかげの方が多いと仰るのでございますから、目に見えぬ方のそのおかげに対して、分かりませんけれども、受けておるおかげということを、お互いが確信しなければならない。信じなければならない。そしてそれを、目の当たりに頂いた物の様にして、神様にお礼を申し上げて、そこんところの信心のいわば、そういう、表現の仕方と言った様なものを四神様は次のように教えておられる。
 「5つのものでも、10もろうた様に喜ぶ。そういう人には次には10のおかげ」と仰る「10のおかげを頂いたと思う時には、20のおかげを頂いた様にお礼をいえば、次には20のおかげ」とこう仰る。もう本当にもの喜びをすると言う事。もう本当に喜ぶ人がある。けれどもそれを頂いて、なんか当たり前の様にしておる人がある。もう本当に気ずかないといえば本当なんですけれども、例えば気づいておってもです、ね、いらんもんでんやってちいう風な、自分で必要でなからなければ喜べないと言う人がある。
 私共は目に見えるおかげより、目に見えぬおかげという方が、実は頂かねば立ち行かん事ばっかり多いのである。ここんところを、本当にお互いが分からせて頂いて、そういういわば信心の稽古。ね。氏子の用をたせば、氏子が神の用をたせば、氏子の用は神がたしてやると仰る事なんかでもです、今日は神様の御用をさせて頂いたばってん、なんにもおかげを頂かんじゃったっち。
 と言った様な、まあ口には言わんでも、そう言う様なそのいわば受け方考え方ではです、ね。目の前になんか見せなければその、分からない。本当に今日一日御用を頂かせて頂いた。本当に御用を頂いた。神様は本当に神の用をたせば、氏子の用は神がたしてやると仰る位だから、私共には知らない事が、どれだけあるか分からんと思うたら、お礼を申し上げて行かなければならないのです。ね。
 ですからそれだけではその、そこんところの実感が湧かんから、本当に神様が、今日一日御用をさせて頂いたら、家に帰ったらこんなおかげを受けておったという、おかげもやはり見せて下さるけれども。やはりこれは目に見えるおかげ。ね。目にみえるおかげより、目に見えぬおかげの方が多いと仰る。ね。だから私ともそこのところをです、今日何もなかじゃったという場合でも、いやいや目に見えないところに、どういう神様の働きを頂いておるやら分からん。
 今日は真心込めて、一生懸命御用をさせて頂いたのだから、氏子の用は神様がたしてやると仰るのだから、どこにかそういう、働きを受けておる事を確信すると。そこにお礼の申し上げれる信心というか、そこになら本当に(?)ところの喜びを頂いて、形の上には1つ頂いたようにあっても、それを5つにも6つにも、それを喜ばせて貰う様な、私は信心、そういう態度が必要である。
 昨日は、今日の御霊様のお祭りの準備の為に一日でしたかね、昼からあの、まぁ終日久富繁雄さんが御用を頂かれた。高橋さんと二人で。もうゆうべ帰られましたのが、あの12時でございましたでしょうね。11時過ぎでございましたけれども、帰りよったところが、えらいその豚小屋でその物音がする。それでいってみたところがですね、豚が10匹生まれてからね、乳を飲ませておる。ここんところは簡単に言い寄りますけれども、まだ本当いうたら大変な複雑なおかげがここにあるのですけれども。
 まあ分かりやりすくいうと、そげんじゃった。おかげで10匹生まれた。しかもそちゃんと乳飲ませとる。もういつも豚にお産の時には、もうそれこそもうお産どんやくする一家中のものがもう、付き切りでその取り上げをしなければならない。誰も知らん間にです、おかげを頂いておる。昨日は昼からいわば、御用を頂かれた。神の用は氏子がたしてやってござるということが、分かるですね。
 そういう時には只今、ご祈念前にその事のお届けがございましたけれども、本当に、氏子の用をたせば神が、神の用をたせば氏子の用は神がたしてやると仰る。ね、心配もなんもせんなり、汚い思いもせんなりにいうならその、豚は安産のおかげを受けておったと。ちゃんと乳どん飲ませよった。本当に有り難い。大体いうたら皆さんこれの方が本当ですね。もう私がおらなできん。今日は私はあの豚がもう、どうも子供を生むごたるけん、先生あげんいいよなさったばってん、今日はいかれません。
 成程それで、安産のおかげを受けたかもしれませんけれどもです、神様も喜んで下さる、自分も喜べれるというおかげを受けておるでしょうが。受けられるでしょうが。さぁ夕べはそんなことで、御用を頂かなかじゃった。家では安産のおかげを頂いた。おかげ頂きましたというだけじゃ、ただ久富さん一家が、おかげを頂いたというだけでしょう。神様に喜んで頂くような御用が、片手落ち疎かになってくるのですから、これが目に見えないところに、どう言う様な響きなってくるか分からない。
 私共が中々生身でございますから、凡夫でございますから、神様がそう言う様にはっきり、なるほど神の用をたせば、氏子のようは神様がたして下さるのだなと、見せて下さる場合もあるのですけども、ただしそれは氷山の一角なんだと。ね。本当いうたらそれはもっともっと根のあるところへおかげを下さっておる。それは私共の肉眼では分からんだけの事。私達が気づかんだけのこと。
 そこのところを、私達はお礼をもうさせて貰いね、だから一つの物は10のお礼を申し上げても、実をいうたら、まだまだ足りんというのが本当じゃないでしょうか。ね、ですから、ほんとに一つの物でも10の、ね、いわゆる針小棒大、ね、針のようなおかげを頂いても、棒のように頂いたお礼を申し上げれば、もう次には、棒の様なおかげをやると神様は仰るのですから。ね。そういう喜べれる、信心を頂かなければならんと言う事が分かりますね。
   どうぞ。